「恥を知る」ということ

△「恥ずかしい」という感情と、「恥じる」という態度は違う。恥の感情は誰でも持っているが、それを態度に育てるのでなければ、やがて欺瞞の顔を作り上げるしかない。それを「恥知らず」「厚顔無恥」と言う。
△不完全・未完成な実存としての自分を、ありのままに受忍するということ。これができない人間は、姉歯秀次永田寿康と同類に属する。

 ニート・引きこもり・社会不安障害(社会恐怖)について

△これらの人々が世の中とうまく交われない原因は、彼らに何か力が足りないのではなく、むしろその持てる力を余らせてしまっていることにある。
△必要なのは、力を発揮する体験の繰り返しであり、それを通して得た力の使い方のコツである。
△「あなたの持てる力を、人のためにすべて出しきりなさい」という声が響く。そうして、回路が開き、すべてが流れ出す。
△持てる者としての自己認知があれば、人は生きることができる。そこでは、もはや「勝ち負け」など問題にならない。
【参考】
社会的ひきこもり―終わらない思春期*1
「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論*2
△古典的な頑固さ(細木数子の発言に象徴されるような)を持った上で、斎藤環を読むにしくはない。
△文面や言葉遣いに引きずられることなく、その文脈や心、<意味>を読み解くことが必要。
△『ビッグ・イシュー日本版*3』№45の上山和樹*4斎藤環対談も有意義。
(そういえば、馬場のおっちゃんとタイミングが合わなくて次の号を買えてない。ので、上山・斎藤往復連載はまだ見ていない。)