笠井潔氏の脱大学=研究論

 それを必要とする人間が少数でもいる限り、どのようなジャンルでも、創作はむろんのこと研究までが自前で進められていくに違いない。探偵小説やSFを対象として行われていることが、漱石研究やドストエフスキー研究にかんして。できないわけがありません。
 …哲学科が大学から消滅しても、哲学者は哲学研究者が消滅してしまうはずはない。古典主義時代までのパトロン制度の現代版として、文学研究や哲学研究を支える目的のNGOを組織することも考慮に価します。

△「教養の時代」が終わって以降の、文科大学とは、そこに居ることは何を意味するだろうか? 何のための「研究」だろうか?