内田樹・南直哉対談「『本当の私』というフィクション」より

△南直哉氏*1『老師と少年』*2刊行記念だそうで、新潮社のPR誌『波』11月号に出ている。2箇所引用する。

 高校生のとき、とても尊敬していた牧師がいて、その人を慕ってキリスト教に入信しようと思ったことがあるんです。しかしその牧師は、「信仰というのは、神を信じるもので、人を信じるんじゃない」と私のことを止めました。
内田 宗教性の本質を衝いた言葉ですね。
 そのとき私が思ったのは、すぐに解答を与える人は信用できないということです。まともでない宗教家は「俺を信じろ」とすぐ言うでしょう? …
(「宗教に見返りを求めるな」)

 「自分」というのが自分の手に負えるものだと思っているのが大きな誤解ですよね。「自分」は自分の手に負えない。…

内田 自分自身の中には無数の層がある。どれが本当の自分かなんて決められないし、自分でそんなものがあることに気づいていないけれど、世間からは丸見えの欲望だってある。そういう無数の欲望の総体として他人は僕を見ている。僕にそれをコントロールすることなんかできるはずがない。
(「『自分探し』は苦役である」)

わずか3段組4ページながら、読みどころの多い対談。

*1:【11/16追記】私は南氏を知らなかったが、今日発売『週刊文春』掲載の宮崎哲也氏の「仏頂面日記」14では、南氏を「畏友」と呼び、また共著上木の予定もあるということだ。

*2:老師と少年